4月14日 今日は・・・ [管理人日記(雑記帳)]
4月14日 今日は・・・
「SOSの日(タイタニック号の日)」
イギリスを出発し、ニューヨークを目指して航行していたイギリスの豪華客船「タイタニック号」が、1012(明治45)年のこの日、ニューファンドランド島の沖で氷山と衝突し沈没しました。
乗客乗員2208人のうち1513人の儀牲者を出した。事故の原因や被害には、救命設備・流氷の監視・無線電信等さまざまな問題が関連しており、その後の船の安全確保について多くの教訓が得られました。
このときにタイタニック号から発せられたSOS信号が世界で初めてのSOS信号といわれています。
一等船客
男 57人生存 118人死亡
女 139人生存 4人死亡
子 5人生存 1人死亡
二等船客
男 14人生存 154人死亡
女 79人生存 15人死亡
子 23人生存 0人死亡
三等船客
男 75人生存 381人死亡
女 76人生存 89人死亡
子 26人生存 53人死亡
乗組員
男 189人生存 674人死亡
女 18人生存 3人死亡
総数
男 335人生存 1327人死亡
女 314人生存 111人死亡
子 54人生存 54人死亡
計 1502人生存 705人死亡
ただし、生存した男性の半数は乗組員。基本的にはボートの操船要員。
死亡した男性乗組員の中では楽団メンバーやアンドリュース設計士(共に二等船客扱い)最期まで避難指揮をとっていたマードック・ムーディ両航海士(氷山衝突時にブリッジにいた航海士二人)、あるいは沈没まで全員が下層に残った機関士達などが有名。
ちなみに右舷側の誘導を担当したマードック一等航海士は婦女子”優先”で男性も、左舷側を担当したライトラー二等航海士は婦女子”のみ”をボートに乗せていったので、どちら側にいるかで男性の生存率は変わったそうです。
ボートを満員にしなかったのは、試験結果が未公表だったために乗組員が設備の耐久性を恐れたからだそうです(試験ではは65人乗りのボートに70人乗っても沈みはしなかったとか)
これらは「不沈タイタニック 悲劇までの全記録」という、資料に基づいて書かれたノンフィクションで示されていた数字。(ソースはイギリス商務省データ)
「良い年の日」
森下仁丹が制定。
「よい(4)とし(14)」の語呂合せ。
「オレンジデー」
2月14日の「バレンタインデー」で愛を告白し、3月14日の「ホワイトデー」でその返礼をした後で、その二人の愛情を確かなものとする日。
オレンジ(またはオレンジ色のプレゼント)を持って相手を訪問します。
欧米では、オレンジが多産であることから繁栄のシンボルとされ、花嫁がオレンジの花を飾る風習があり、オレンジは結婚と関係の深いものとなっています。
愛媛県の柑橘類生産農家が1994年に制定。
「パートナーデー」
佐賀県佐賀市が1998(平成10)年に制定。
2月14日がバレンタインデー、3月14日がホワイトデーであることから、その一箇月後を「パートナーデー」としました。
家庭・職場・地域等で互いを思い遣り、男女が共に参画する社会を目指す日。
「フレンドリーデー」
株式会社スーパープランニングが2000(平成12)年11月に制定。
「友達ってよ(4)い(1)よ(4)ね」の語呂合せ。
自分にとって大切な友達と友情を確認しあう日。
地球上のすべての人々も、自然も動物も「みんなが仲良くする日」として活動を行っており、にっこり困り顔が特徴のオリジナルキャラクターの「MR.FRIENDLY」も若い女性を中心として人気を集めています。
「柔道整復の日」
全国柔整鍼灸協会が2003年に制定。
1970(昭和45)年のこの日、「柔道整復師法」が公布された。
「椅子の日」
また、入学・就職・転居などで新しいスタートを切る時期に当たることから、座り心地の良い椅子を贈る日となることを目指しています。
人にとって最も近い存在であるであろう椅子。毎日の生活には欠かせませんよね。
椅子に座るという動作は日常で必ず行うものですから、腰に負担をかけない座り方を心がけたいものです。
毎日デスクワークを行う人は特に腰が痛くなったり肩が凝ったりといった体の不調に悩まされてはいませんか?
と言うのも、人体の構造上、座った時に猫背になるのが自然なこと。座ると骨盤が後ろに傾いてしまうので、いくら背筋を伸ばそうとしても苦しくなってしまって長続きしないのです。
ですので、良い姿勢を保つためには【骨盤を立たせて背骨をまっすぐ伸ばす】ことが重要。前かがみの状態でお尻が椅子の背もたれにつくまで引いて座ることで、骨盤を立たせることができます。
正しい姿勢で座った後は、椅子の奥にしっかり座って背もたれに体を預けるという基本を守りましょう。椅子に深く腰かけたとき、椅子座面の端とヒザの裏との間に指2〜3本の隙間を空けるのが理想です。
「グルジア語の日 [グルジア]」
1978年のこの日、ソ連・グルジア共和国で、公用語からグルジア語を外す新憲法案に反対するデモが発生した。
この日は新憲法批准のための最高会議の召集日であった。グルジア共産党書記長シェワルナゼは中央政府と交渉し、公用語を変える規定は撤回されました。