1月23日 今日は・・・ [管理人日記(雑記帳)]
1月23日 今日は・・・
「電子メールの日」
「1(いい)23(ふみ)」(いい文・E文)の語呂合わせということで、電子メッセージング協議会(JEMA)が1994(平成6)年に制定しました。
また、毎月23日はふみの日ですが、こちらは1979(昭和54)年7月23日に総務省が制定した記念日です。
カリフォルニア・アーモンド協会が2008(平成20)年に制定。
アーモンド約23粒が日本人の成人女性の1日の摂取目安量であることから「1日23粒」で1月23日を記念日としました。
アーモンドには活性酸素による酸化を防いだり、血行をよくするビタミンEが豊富に含まれています。
日本人の成人女性に必要な1日のビタミンE摂取目安量(約8mg)がアーモンド23粒で摂取できることから、1日23粒のアーモンドを食べてもらおうと、2008年にカリフォルニア・アーモンド協会が制定。
アーモンドの栄養素では豊富なビタミンEに注目がいきがちですが、ミネラル類や食物繊維も多く含まれています。
また、アーモンドの主成分であるオレイン酸、リノール酸という「不飽和脂肪酸」は体にいい油と言われ、健康・美容に役立ちます。
体にいいアーモンドですが、なかなかの高カロリー。特に塩漬け、砂糖漬けのアーモンドでは、塩分や糖分の摂取量が大幅に増えてしまうので、ダイエットには逆効果。美容目的で食べるときには素焼きのアーモンドを選ぶようにしてください。
また、アーモンドの細胞は硬くて厚いので、栄養の消化・吸収に時間がかかります。粒のまま食べた場合と、粉末にした場合には、前者の消化量は後者の約半分程度だと言われています。そのため、粉砕してサラダにかけたり、アーモンドミルクにしたりと、細かくして食べるといいかもしれません。
「八甲田山の日」
1902(明治35)年、八甲田山へ雪中行軍に出かけた兵士210名が遭難しました。
冬の八甲田山は本来は冬の重装備が必要でしたが、指導部の無謀さから兵士は軽装のまま行軍を開始したため、猛吹雪の中で道を失い寒さと飢えと疲労の為に遭難して行きました。
25日になって199名の死亡が確認されました。
「アガる日」
女性のお肌も気分も「アガる日」になってもらうことを目的に、株式会社ファンケル化粧品が制定。日付は肌や気分が「アガって」いくことを願い、1→2→3と数字がアガっていく1月23日に。
「ワンツースリーの日」
「123」で「ワンツースリー」とよむ語呂合せ。
人生に対してジャンプする気持ちを持とうという日です。
また、12月3日は同じく「ワンツースリー」で、奇術の日です。
「真白き富士の嶺の日」
1910年のこの日、神奈川県の逗子開成中学の生徒12人が学校のボートで乗り出し、七里ヶ浜で遭難して全員が死亡しました。
この遭難は社会的事件として新聞で大々的に扱われました。この悲報に接した鎌倉女学校の教諭・三角錫子が「七里ヶ浜の哀歌」を作詞し、この歌は全国で愛唱されました。
1月22日 今日は・・・ [管理人日記(雑記帳)]
1月22日 今日は・・・
1982(昭和57)年、全国学校栄養士協議会で1月22日の給食のメニューをカレーにすることに決められ、全国の小中学校で一斉にカレー給食が出されました。 カレーのよりいっそうの普及拡大により、健康で豊かな消費生活の実現に寄与することを目的に、全日本カレー工業協同組合が制定。 日付は1982年に全国学校栄養士協議会が全国の学校給食の統一メニューとして「カレー」を提供したことにちなみます。 有名ですがカレーのルーツはインドです。本場インドでは、どの家庭でも料理に合わせてスパイスを混ぜ合わせて味付けをしています。この混合スパイスのことを「マサラ」といいます。マサラをインドから持ち帰ってイギリス人好みにブレンドしたものが、日本でもお馴染みのカレーパウダーになります。 ところで、カレーといえば家庭でよく食べるという方も多いはず。入れるお肉、隠し味の調味料、薬味と、具材によって家庭の味が変わるというのも面白いですね。 大阪では、ほとんどの家庭で牛肉が使われていると言われています。現在は地域によって食の嗜好の差はなくなりつつあると言われていますが、傾向として東日本では豚肉、西日本では牛肉を使う家庭が多いようです。 それにしても全国の学校給食を一斉にカレーにした企画、なんか凄いですよね~。 また、カレールーでもカレー粉でもOKで、耳かき1杯ほど 味噌汁に入れたりと、口にするだけで能が活性化されるそうなので、お子さんの試験の日や、会議があるときには 朝食にカレーを取り入れてみてはいかがでしょう?
1916(大正5)年のこの日に、日本初の国産飛行船、陸軍の「雄飛号」が所沢~大阪間で実験飛行したことにちなんでいます。 雄飛号は、パルセヴァル式飛行船を改修したもので、1915(大正4)年の4月に完成していました。 「雄飛号」は所沢を離陸したのち、約4時間をかけて燃料補給地点の豊橋に到着し、そこから約5時間をかけて目的地の大阪に到着しました。ドイツから輸入したペルセヴァル式飛行船を改修した船体は長さ75メートル、幅25メートルという巨体であったため、着陸は100名ほどの兵士が引き下ろして行われました。
東京都内の老舗ジャズクラブ「バードランド」「サテンドール」「オールオブミークラブ」のオーナーらによる「JAZZ DAY実行委員会」が2001(平成13)年から実施。
JAZZの"JA"が"January"(1月)の先頭2文字であり、"ZZ"が"22"に似ていることから。
ジャズのファン層の裾野を広げる為に、ライブコンサート等さまなざまPR活動が行われます。
たまにジャズもいいもんですよね~
「聖ビンセンチウスの祝日」
「聖ビンセンチウスの祝日」
聖ビンセンチウスは、飲んだくれの守護聖人です。
イギリスでは、この日が晴れると一年中良い天候に恵まれるとされています。
今日の天気予報は「雪」あまり天候には恵まれない1年・・・なんでしょうかねぇ?
「統一の日 [ウクライナ]」
1919年のこの日、ウクライナ人民共和国と西ウクライナ人民共和国が統一条約に調印しました。
1月21日 今日は・・・ [管理人日記(雑記帳)]
1月21日 今日は・・・
「料理番組の日」
1937(昭和12)年のこの日、イギリスのBBCテレビで料理番組の元祖といわれる番組『夕べの料理』の放送が始まりました。第1回目は「オムレツの作り方」で、この日の担当のマルセル・ブールスタンは、世界で初めてテレビに出演した料理人となりました。
また、1963(昭和38)年の同じ日に、日本テレビで「3分クッキング」がスタートしました。
女性に好まれる「春の花」の代名詞のスイートピーをより多くの人に楽しんでもらうことを目的に、「日本スイートピーの会」が制定。
日付はこの時期が一年で最も香りが豊かで綺麗に輝くことと、花弁が左右対称で3種類の花びら(旗弁、翼弁、舟弁)からなり、それぞれ1枚、2枚、1枚あることから121の1月21日。
「三十路の日」
20歳の「成人の日」から10年、それぞれの人が積み重ねた経験を元に新たなチャレンジをしていくきっかけの日としてもらことを目的に、神奈川県横浜市の「MISOJI MATSURI 実行委員会」が制定。
日付は「成人の日」(1月第2月曜日)の先にある日曜日から1月の第3日曜日から。
「三十代」「三十路」「アラサー」……何気なく使っている年齢を指す異称、正しい意味で使えていますでしょうか?
「三十代」はもちろん30歳から39歳のことを指しますね。これは分かりやすいです。
一方で、「十路(そじ)」は年齢を10年を単位として数える言葉。「路」という字がついた「みそじ」ですが、30代ではなく30歳の1年間のみを指す言葉です。古くは「みそち」と呼んでおり、「ち」は数詞の下に添える語です。はたちの「ち」と同じと思うと覚えやすいかもしれませんね。
アラサーは「around thirty(アラウンドサーティー)」の略で、30歳前後の人のことを指します。つまり、四捨五入して30歳になる25歳から34歳を指します。この言葉が生まれたきっかけは、ファッション業界が1990年台中盤に高校生〜大学生だった当時の30歳前後の女性のことを指すようになったためです。アラサー世代は20代の世代よりも収入が増え、結婚適齢期に当たる時期。ファッション業界を中心にアラサー以上の世代に特化した商品やサービスが常に増えていっています。
「ライバルが手を結ぶ日」
1866(慶応2)年、長州の木戸孝允、薩摩の西郷隆盛らが土佐の坂本竜馬らの仲介で京都で会見し、倒幕の為に薩長同盟(薩長連合)を結びました。
「聖アグネスの祝日」
勇気、貞潔、愛の象徴聖人アグネスに捧げる日です。
異教の若者の求婚を拒みキリストに我が身を捧げると断言して、火刑に処せられ若くして殉教しました。
「初大師,初弘法」
1年で最初の弘法大師の縁日。
1月20日 今日は・・・ [管理人日記(雑記帳)]
1月20日 今日は・・・
「玉の輿の日」
1905(明治38)年のこの日、アメリカ政府の産業にまで強大な影響力を持っていたアメリカの金融財閥モルガン商会の創立者の甥、ジョージ・モルガンが祇園の芸妓・お雪を見初め、結婚しました。
このことから「玉の輿の日」といわれています。
落籍料は当時のお金で4万円だったといわれています。
お雪は「日本のシンデレラ」と呼ばれています。
当時の金額で換算すると。。。例えばアンパンは、現在では1個100円ぐらいのものですが
明治40年頃では1個1銭。
100銭=1円ですので、ここから換算すると1円=1万円。
よって20円=20万円 というような計算にもなります。
ちなみに、蕎麦1盛り4銭ほどですが、
現在ですと600円程度でしょうか?
これですと、1銭=150円で、20円は30万円と換算出来ます。
え。。。6億!!?
【補足】
平成19年の国家公務員の大卒初任給は約18万円です。
これが明治40年ごろの公務員の初任給が、14円程度ですから、
20円というのは現在の価値で、25万7000円程度
だいたい20円で20万~30万ってことですね
4万円・・・・ そりゃぁ 玉の輿伝説が残るわけだ
お雪さんのその後の人生も気になります。
その後の人生・・・下の方に載せておきます。
「海外団体旅行の日」
1965(昭和40)年のこの日、日本航空が海外団体旅行「ジャルパック」を発売し、海外団体旅行がブームとなりました。
「二十日正月」
正月の最後の日として納めの行事を行います。
正月に食べた魚の骨や頭までも食べ尽くすことから、骨正月・頭正月と呼ぶ地方もあります。
正月の最後の日として、納めの行事を行う日。残った正月料理や餅を食べたり、正月の飾り物を納めたりします。
地方によっては正月に食べた鰤の骨を野菜などと煮込んで食べたり、魚を食べ尽くして骨だけにしたりすることから、「骨正月」「骨おろし」「頭正月」などとも呼ばれています。西日本では麦飯にとろろをかけて食べることが多いことから「麦正月」とも呼ばれているようです。
現在の鏡開きは1月11日ですが、元は「二十日正月」である1月20日が鏡開きの日でした。
江戸時代に徳川三代将軍徳川家光が4月20日に亡くなったことで、月命日である20日を避けて変更されたと言われています。
今ではお正月休みといえばほとんどが三が日のみのところが多いですね。サービス業の人は、1日から働いているということも少なくないはず。
しかし、昔は三が日はもちろん、なんと二十日正月の1月20日までほとんどのお店がお休みだったのだとか。今では全く考えられませんね……。
お正月準備として買い込んだ食材もちょうど1月中旬になって無くなり始めたところで、二十日正月に食べ尽くしてしまおうという昔の人の知恵だったのかもしれません。
「ぬか床の日」
古来より大寒の寒い時期にぬか床を作ると良いぬか床が出来るとされることから暦の上の「大寒」を記念日として、全国ぬかづけのもと工業会が制定。
米ぬかを発酵させて作るぬか床の品質向上と普及を目的としています。
「アメリカ大統領就任式」
西暦年が4で割り切れる年の翌年に行われます。
アメリカ合衆国憲法修正20条では、大統領の任期は1月20日の正午に終了することとされており、その瞬間から次の大統領の任期が始ります。
1月19日 今日は・・・ [管理人日記(雑記帳)]
1月18日 今日は・・・ [管理人日記(雑記帳)]
「都バス記念日」
東京都交通局が制定しました。 1924(大正13)年のこの日、東京市営の乗合バスが東京駅への2系統で営業を開始しました。 このバスはT型フォード11人乗りで、「円太郎」の愛称で親しまれ、都営バスカードのデザインにも使われています。
「118番の日」
118番とは、 海上保安庁への緊急通報用電話番号で、海上保安庁が2011(平成23)年から実施。 同日は「118番」を広く知ってもらう為の活動が行われています。 「110番」は警察、「119番」は消防。では、「118番」が何の番号だかご存じでしょうか? 「118番」は海上保安庁の海上における事件・事故の緊急通報用電話番号です。「118番の日」は、より多くの人にその重要性を理解を深めてもらい、海の安全確保に資するために海上保安庁が制定した日なのです。 「118番通報」は、海難人身事故に遭遇した(目撃した)時、見慣れない不審船を発見した時、油の排出などを発見した時、密輸・密航事犯などの情報を得た時などに使って欲しいとされています。要するに、「海の事件・事故」があった時は118番!というわけです。 しかし、知名度が低いせいか寄せられる電話のほとんどがいたずら電話や間違い電話のたぐいのだそうです。 「明日の天気を教えて欲しい」などの全く関係のない問い合わせや、時報サービス(117)などとの勘違い、中には虚偽の通報で検挙に至った例もあるそう。最も多い間違い電話は、札幌市の市外局番が「011」のため、外線を「0」発信でかけなければならない電話でその「0」を押し忘れ、「118」にかかってしまうケースと言われています。 こうした無効電話は人命救助につながる貴重な通報の邪魔にもなります。必要な時に有効に使えるように、「海の事故は118番」と覚えておきましょう!
「カップスターの日」
1975年1月18日に「カップスターしょうゆ」が発売されたことを記念して、サンヨー食品株式会社が制定。 カップスターは1973年に発売された「サッポロ一番スナック」というカップ麺がその前身と言われています。
「振袖火事の日」
1657(明暦3)年、江戸城天守閣と市街のほとんどを焼失し、死者が10万人にもおよんだ明暦の大火が起きました。 この大火は「振袖火事」とも呼ばれます。 これは次のような話によります。 上野の神商大増屋十右衛門の娘おきくは、花見の時に美しい寺小姓を見初め、小姓が着ていた着物の色模様に似せた振袖をこしらえてもらい、毎日寺小姓を想い続けました。 そして、恋の病に臥せったまま明暦元年1月16日、16歳で亡くなってしまいました。 寺では法事が済むと、しきたり通り振袖を古着屋へ売り払いました。 その振袖は本郷元町の麹屋吉兵衛の娘お花の手に渡りましたが、それ以来お花は病気になり、明暦2年の同じ日に死亡しました。 振袖は再び古着屋の手を経て、麻布の質屋伊勢屋五兵衛の娘おたつのもとに渡りましたが、おたつも同じように、明暦3年の1月16日に亡くなりました。 おたつの葬儀に、十右衛門夫婦と吉兵衛夫婦もたまたま来ており、三家は相談して、因縁の振り袖を本妙寺で供養してもらうことにしました。 しかし、和尚が読経しながら振袖を火の中に投げ込んだ瞬間、突如吹いたつむじ風によって振袖が舞い上がって本堂に飛び込み、それが燃え広がって江戸中が大火となりました。
1月17日 今日は・・・ [管理人日記(雑記帳)]
1月17日 今日は・・・
「おむすびの日」
米に関係する民間企業やJA等でつくる「ごはんを食べよう国民運動推進協議会」が2000(平成12)年11月に制定し、2001(平成13)年から実施。
阪神大震災ではボランティアの炊き出しで被災者が励まされたことから、いつまでもこの善意を忘れない為、1月17日を記念日としました。
おにぎりの歴史は古く、石川県のチャノバタケ遺跡から弥生時代のものと思われる、日本最古のおにぎりが出土しています。しかし、現在のような三角形の形になったのは随分あとのことでした。当時はチマキのようなものだと考えられ、底辺には縛ったようなくぼみもあったそうです。
さらに平安時代には餅米を握った「頓食」が作られるようになり、携帯食や招待客へのおもてなしとして活用されたとされています。戦国時代には、武士の兵糧としても重宝されていました。
ちなみに、「おにぎり」と「おむすび」。同じ意味で言っている人も多いとは思いますが、何が違うのでしょうか?
「おにぎり」は「にぎりめし」を丁寧に言い換えた言葉です。一方、「おむすび」は平安時代の貴族の女性たちが米を握ったものをそう呼んだのが名残なのだとか。「おむすび」の方が何となく上品な感じがするのはこのせいでしょうか?
また、諸説ありますが地域差もあるといいます。。通説では東日本では「おにぎり」、西日本では「おむすび」とされることが多いようですが、NHKのアンケート調査によると90%の日本人が「おにぎり」と呼んでいるとか。また「おにぎり」は形が定められていないのに対し、三角形のものを特別「おむすび」と呼ぶという説もあります。
いろいろな説がありますが結局のところ明確な違いはなく、日本おにぎり協会は「おにぎりとおむすびの呼び方の違いは、家庭・個人レベルの違いにある」との見解を示しています。
ちなみに 私は「おにぎり」と「おむすび」の違いが よく解らない派(^^;)
ちなみに 私は「おにぎり」と「おむすび」の違いが よく解らない派(^^;)
「阪神・淡路大震災記念日」
1995(平成7)年1月17日午前5時46分、淡路島北端を震源とする兵庫県南部地震が発生しました。
マグニチュード7.3で震源の深さは約14キロ。神戸市・芦屋市・西宮市と淡路島の北淡町で初めて震度7の激震を記録しました。
大都市神戸を中心に阪神間の人口密集地を直撃し、鉄道・高速道路・港湾等の交通機関や電気・水道・ガスのライフラインが壊滅状態となり、自宅を失なって避難した人は最大で23万人に達しました。
死者は、震災が原因で亡くなった人を含めると6000人を超えました。
負傷者は約42000人、倒壊家屋は約40万棟。
被害総額は10兆円にものぼります。
また同日は、震災から11年目の2006(平成18)年に兵庫県が「ひょうご安全の日」と定めています。
「防災とボランティアの日」
1995年1月17日午前5時46分、淡路島北端を震源とする兵庫県南部地震が発生しました。
阪神・淡路大震災では、政府や行政の対応の遅れが批判された一方で、学生を中心としたボランティア活動が活発化し、「日本のボランティア元年」と言われました。
これをきっかけに、ボランティア活動への認識を深め、災害への備えの充実強化を図る目的で、1995年12月の閣議で制定が決定され、翌1996年から実施されました。
「ひょうご安全の日 [兵庫県]」
阪神・淡路大震災から11年目の2006年に兵庫県が制定。
「今月今夜の月の日」
尾崎紅葉の『金色夜叉』の中で、主人公の貫一が熱海の海岸で、貫一を裏切った恋人のお宮に「可(い)いか、宮さん、一月の十七日だ。来年の今月今夜になつたらば、僕の涙で必ず月は曇らせて見せるから」と言い放ったことから。
この日の夜が曇り空になることを「貫一曇り」と言う。熱海ではこの日に「尾崎紅葉祭」が行われる。
「湾岸戦争開戦記念日」
1991(平成3)年、アメリカ軍を主力とする多国籍軍が、イラクとクウェートのイラク軍拠点に攻撃を開始し、湾岸戦争が勃発しました。
この日に設定されていた撤退期限が過ぎてもイラク軍がクウェートから撤退しなかったため、攻撃に踏み切りました。
1月16日 今日は・・・ [管理人日記(雑記帳)]
1月16日 今日は・・・
1920(大正9)年のこの日、アメリカで禁酒法が実施された。
清教徒(ピューリタン)の影響が強かったアメリカではアルコールに対する強い批判があり、20世紀初頭までに18の州で禁酒法が実施されていましたが、これが全国に及びました。
飲料用アルコールの製造・販売等が禁止されましたが、密造酒による健康問題や、アル・カポネを始めとする密売にかかわるギャングの出現等逆効果を招いたため、1933(昭和8)年2月に廃止されました。
「い(1)い(1)炉(6)」の語呂合せ。
囲炉裏を囲んで暖かい会話を楽しむことを目的として、囲炉裏の愛好家らが制定したとされています。
囲炉裏は室内の床の一部を四角または長方形に切り抜いて中に炉を設置した、日本の伝統的な暖房・照明・調理器具。囲炉裏の座る位置は身分に応じての決まりがあり、土間から見て一番奥は家長が座る「横座」で、その左右は女房・女の座る「かか座」、客人・長男が座る「客座」となっています。
「初閻魔,閻魔賽日(えんまさいじつ),十王詣」
正月16日と7月16日の閻魔賽日(地獄の釜の蓋が開いて鬼も亡者も休むとされる日)に、寺院で十王図や地獄相変図を拝んだり、閻魔堂に参詣したりする事。
十王とは地獄にいて亡くなった人の罪を裁く10人の判官のことで、特に閻魔王のことを指します。
「念仏の口開け」
年が明けて初めて、仏様を祀って念仏をする日。
正月の神様(年神様)が念仏が嫌いであるということから、12月16日の「念仏の口止め」からこの日までの正月の間は念仏は唱えないこととされています。
「晴れの特異日」
晴れる確率の高い日。
「籔入り」
むかしは商店に奉公している人や嫁入りした娘が、休みをもらって親元に帰ることができた日です。
ほかにも7月16日には、実家に帰ることが許されていました。
1月15日 今日は・・・ [管理人日記(雑記帳)]
1月15日 今日は・・・
全国いちご消費拡大協議会が制定。
「いち(1)ご(5)」の語呂合せ。
今日は「小正月」
[問題]です
1月15日の朝食べるものは?
A.七草粥
B.小豆粥
C.茶粥
「小正月(こしょうがつ)」
旧暦の1月15日は立春後の望月(もちづき=満月)に当たり、昔の名残で元日を大正月、1月15日を小正月と言います。
大正月を男正月、小正月を女正月とも言い、松の内多忙だった女性を労う休息日でもありました。正月飾りを焼く「左義長」を行い、正月行事に区切りをつけます。
小正月には柳の木に紅白の餅を飾り付け、実った稲穂に見立てて、農耕神の予祝(地方によっては餅ではなく繭を使い、繭玉と呼びます)餅花を飾り、豊作を願います。
また、小豆粥で無病息災を願います。小豆の赤色は邪気を払うと考えられていたからです。
1月14日 今日は・・・ [管理人日記(雑記帳)]
1月14日 今日は。。。
「タロとジロの日,愛と希望と勇気の日」
1959(昭和34)年のこの日、南極に置き去りにされた南極観測隊の2匹のカラフト犬・タロとジロの生存が確認されました。
1956(昭和31)年の秋、南極観測船「宗谷」で11人の隊員が東京港を出発。15頭のカラフト犬も犬ぞり隊として参加しました。1958(昭和33)年、第2次越冬隊を送り込む為再び「宗谷」は南極に向かいましたが、厚い氷にはばまれて断念。11人の越冬隊員はヘリコプターで救出されましたが、15頭のカラフト犬は救出することができず、鎖につないだまま氷原に置き去りにされ、翌1959(昭和34)年のこの日、ヘリコプターが2頭の生存を確認。南極から打電されたこのニュースは、世界を愛と希望と勇気の感動で包みました。
ジロは南極で死亡しましたが、タロは5年後に日本に生還して北海道で余生を過ごしました。
タロとジロといえば、ドラマや映画の『南極物語』でモデルとされていることでも有名ですね。
1956年に第1次南極観測隊が南極観測船「宗谷」に乗って東京湾を出発。タロとジロを含め、犬ぞり引きの訓練を受けた22匹の樺太犬もともに旅立ちました。
1年以上に渡る南極生活の末、迎えた1958年。第2次越冬隊と引継ぎ交代するため、再び宗谷で南極へ赴きましたが、宗谷側は長期にわたる悪天候の為に南極への上陸・越冬断念を決定します。越冬隊員はヘリコプターで救出されましたが、15頭の犬たちを観測船まで連れてくることは出来ず、首輪につないだまま基地に残したのでした。
この時なぜ首輪を繋いだままにしていたのか?それは、隊員たちはすぐに交代する探検隊がやってくるという前提があったからです。隊員たちは「数時間の間、南極基地が留守になるだけ」と思っていたのですが、天候の悪化によりそれは果たされませんでした。また、野放しにすると野犬化したり共食いする可能性もあったからだと言われています。
寒さに強く体が丈夫な樺太犬たちも、鎖に繋がれていては食べ物を調達することが出来ません。1年後に隊員たちが再び基地に訪れた際は、残された15頭のうち7頭が鎖に繋がれたまま死んでおり、8頭が首輪を抜けて脱走していたといいます。
脱走した犬たちの中で生存が確認できたのはタロとジロの2頭のみ。タロとジロは15頭の犬たちの中で最も若く体力があり、首輪抜けが得意な犬たちだったことも彼らが生き延びた理由の一つとされています。首輪抜けした後、タロとジロはアザラシのフンを食べていたのではないかと推測されています。アザラシのフンには未消化の小エビや稚魚が含まれていて、栄養価が高いためです。(ちなみに、動物がほかの動物のフンを食べることは特別ではありません)
「尖閣諸島開拓(せんかくしょとうかいたく)の日」
沖縄県石垣市が2010(平成22)年12月に制定。
1895(明治28)年のこの日に、日本政府が尖閣諸島を日本領に編入する閣議決定を行った為。
「松納」
正月の門松や松飾りを取り払う日で、「飾納」ともいいます。
元旦から松納めまでを「松の内」、松納めの後を「松過ぎ」と呼び、松納土地によって14日のところもありますが普通は7日に行うところが多いです。
「飾納」
十四日年越し
小正月の前日に当るため、昔は年越しの日として祝っていました。
「左義長,どんと焼き,どんどん焼き」
正月に飾った正月飾りや書き初め等を燃やします。
8日や10日に行う地方もあります。
「ダイアリーデー [韓国]」
その年1年間使う手帳を恋人にプレゼントする日。