SSブログ

1月20日 今日は・・・ [管理人日記(雑記帳)]



1月20日 今日は・・・
「玉の輿の日」
1905(明治38)年のこの日、アメリカ政府の産業にまで強大な影響力を持っていたアメリカの金融財閥モルガン商会の創立者の甥、ジョージ・モルガンが祇園の芸妓・お雪を見初め、結婚しました。
 このことから「玉の輿の日」といわれています。
 落籍料は当時のお金で4万円だったといわれています。
 お雪は「日本のシンデレラ」と呼ばれています。
 当時の金額で換算すると。。。例えばアンパンは、現在では1個100円ぐらいのものですが
明治40年頃では1個1銭。
100銭=1円ですので、ここから換算すると1円=1万円。
 よって20円=20万円 というような計算にもなります。
 ちなみに、蕎麦1盛り4銭ほどですが、
現在ですと600円程度でしょうか?
これですと、1銭=150円で、20円は30万円と換算出来ます。
 え。。。6億!!?
【補足】
 平成19年の国家公務員の大卒初任給は約18万円です。
これが明治40年ごろの公務員の初任給が、14円程度ですから、
20円というのは現在の価値で、25万7000円程度
 だいたい20円で20万~30万ってことですね
4万円・・・・ そりゃぁ 玉の輿伝説が残るわけだ
 お雪さんのその後の人生も気になります。
その後の人生・・・下の方に載せておきます。
気になる方は 読んで下さい。

玉の輿の日イラスト.jpg
「海外団体旅行の日」
 1965(昭和40)年のこの日、日本航空が海外団体旅行「ジャルパック」を発売し、海外団体旅行がブームとなりました。
「二十日正月」
 正月の最後の日として納めの行事を行います。
 正月に食べた魚の骨や頭までも食べ尽くすことから、骨正月・頭正月と呼ぶ地方もあります。
 正月の最後の日として、納めの行事を行う日。残った正月料理や餅を食べたり、正月の飾り物を納めたりします。
地方によっては正月に食べた鰤の骨を野菜などと煮込んで食べたり、魚を食べ尽くして骨だけにしたりすることから、「骨正月」「骨おろし」「頭正月」などとも呼ばれています。西日本では麦飯にとろろをかけて食べることが多いことから「麦正月」とも呼ばれているようです。
 現在の鏡開きは1月11日ですが、元は「二十日正月」である1月20日が鏡開きの日でした。
江戸時代に徳川三代将軍徳川家光が4月20日に亡くなったことで、月命日である20日を避けて変更されたと言われています。
 今ではお正月休みといえばほとんどが三が日のみのところが多いですね。サービス業の人は、1日から働いているということも少なくないはず。
しかし、昔は三が日はもちろん、なんと二十日正月の1月20日までほとんどのお店がお休みだったのだとか。今では全く考えられませんね……。
 お正月準備として買い込んだ食材もちょうど1月中旬になって無くなり始めたところで、二十日正月に食べ尽くしてしまおうという昔の人の知恵だったのかもしれません。
「ぬか床の日」
 古来より大寒の寒い時期にぬか床を作ると良いぬか床が出来るとされることから暦の上の「大寒」を記念日として、全国ぬかづけのもと工業会が制定。
 米ぬかを発酵させて作るぬか床の品質向上と普及を目的としています。
「アメリカ大統領就任式」
 西暦年が4で割り切れる年の翌年に行われます。
 アメリカ合衆国憲法修正20条では、大統領の任期は1月20日の正午に終了することとされており、その瞬間から次の大統領の任期が始ります。




【お雪の数奇な人生】参照
 京都祇園の芸妓お雪が、アメリカの富豪ジョージ・デニソン・モルガンと結婚したのが、1904年(明治37年)1月20日。「玉の輿の日」が、1月20日に制定された由来とされています。モルガン家は、当時アメリカの五大財閥で、ジョージは創始者のJ.Pモルガンの甥です。
 日本にも「モルガン」とつく会社がありますが、今でも、アメリカで絶大な力を持つ金融財閥です。
芸妓とアメリカ人の富豪の結婚は、明治時代でなくても、相当めずらしい話ですよね。
1901年(明治34年)、傷心旅行で日本を訪れたジョージが京都の「都をどり」で舞う芸妓、お雪と出会います。当時ジョージ30歳、お雪20歳。ジョージは、熱心にお雪に求婚し、お雪が結婚に承諾するまで、3回来日したそうです。
ジョージはお雪を身請け(みうけ)するために、4万円(現在の4~6億円)という、破格の金額を用意しました。
当時お雪には、川上という京大生の恋人がいました。しかし、身請けというルールに、芸妓が逆らえるはずもありません。お雪は川上と別れ、ジョージと結婚しました。
お雪の心情はわかりませんが、お金目的だけで、明治時代にアメリカに渡る決意は、できないのではないでしょうか。熱心に求婚するジョージに、純粋に惹かれていった気もするのです。
日本でお雪は「日本のシンデレラ」と呼ばれる一方、マスコミには「金に目がくらんだ女」とはやし立てられました。また、当時アメリカは、移民を厳しく制限していたため、お雪はアメリカ国籍を持つことができなかったりと、多くの試練が待ち受けていました。
アメリカで生活することを断念した二人は、ヨーロッパに渡ります。しかし、お雪34歳のとき、ジョージは44歳で、心臓麻痺で亡くなってしまいます。お雪は、モルガン家と遺産相続で裁判になりますが、勝訴し、莫大な遺産を手に、フランスで悠々自適な生活を送ります。
その後、第二次世界大戦で、ヨーロッパに危機が訪れたため日本に帰国しました。しかし、日本で財産を差し押さえられるという困難が襲います。
それでも、故郷である京都を守るため、夫の友人を通じ、京都を爆撃しないよう働きかけた、と言われています。今でも祇園では「お雪のおかげで京都は助かった」という伝説が残っています。
終戦後、71歳でキリスト教の洗礼を受け、養女とともに京都で静かな余生を送り、1963年(昭和38年)81歳で亡くなります。
時代の大きな波と「玉の輿」がゆえの波乱万丈な人生だったんですね。
Geoge_Denison_Morgan.jpg t01810256_0181025613415190809.jpg

10747.jpg





nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。