2月26日 今日は・・・ [管理人日記(雑記帳)]
2月26日 今日は・・・
1815年、エルバ島に流刑されていたナポレオンが島を脱出してパリに向かいました。
島流しの刑に遭っていたナポレオンが流刑先のエルバ島で、フランスの混乱を聞きつけるや否やエルバ島を脱出してパリに戻り皇帝の座に返り咲いたとされています。
1860(万延元)年、江戸幕府がオランダに作らせた日本初の本格的な洋式軍艦である咸臨丸(かんりんまる)が、太平洋を横断してサンフランシスコに到着した日です。
咸臨丸の咸臨とは、『君臣が互いに親しみ合うこと』を意味します。
咸臨丸はその後、明治政府の輸送船になりました。
なお、咸臨丸が日本を出航したのは同年の1月13日(18日・19日の説もあり)で、その日は「咸臨丸出航記念日」となっています。
「2.26事件」
1936(昭和11)年、2.26事件が発生しました。
陸軍の皇道派の青年将校が、対立していた統制派の打倒と国家改造を目指し、約1500名の部隊を率いて首相官邸等を襲撃しました。内大臣・大蔵大臣等が殺害され、永田町一帯が占拠されましたた。
当初、陸軍の首脳部は青年将校たちの行動を容認する態度をとっていたが、海軍が鎮圧を要求し、天皇も同様の立場をとったので、29日に鎮圧を開始、飛行機から「下士官兵ニ告グ」のビラを撒いて帰順を勧め、「今からでも決して遅くはないから、直ちに抵抗をやめて軍旗の下に復帰する様にせよ」との投降を呼びかけるラジオ放送を行いました。
形勢が不利になったと判断した将校たちは兵を原隊に帰し、2名が自決、残りの者が自首して、その日のうちに鎮定されました。
「パナマ運河開通記念日」
1914(大正2)年、太平洋と大西洋を連絡するパナマ運河が開通しました。
パナマ運河は、中央アメリカのパナマ地峡を開削した閘門[こうもん]式運河で、当初はスエズ運河を開削したフランス人技師レセップスが工事を進めていましたが、作業員がマラリア等の病気にかかる等で失敗し、その後をアメリカが継いで完成させました。
「血液銀行開業記念日」
1951(昭和26)年、日本初の血液銀行・日本ブラッドバンク(後のミドリ十字。吉富製薬と合併する等して現在は三菱ウェルファーマ)が大阪に設立されました。
血液銀行は、献血等により提供者から採取した血液を保存管理して輸血に必要な血液を確保し、必要に応じて供給する機関で、GHQの指示により設置されました。
翌1952(昭和27)年に、日本赤十字社も血液銀行を設立しました。
「周遊忌」
鉄道紀行作家・宮脇俊三の2003(平成15)年の忌日。
周遊忌という名前は、生前に自らつけた戒名「鉄道院周遊俊妙居士」に因むものであります。
「良忍上人忌」
平安時代後期の僧で融通念仏宗の祖・良忍の法要の日。
亡くなったのは1132(長承元)年2月1日で、法要が行われたのがこの日で、この日が記念日になっています。
1773(安永2)年に聖応大師の諡号を贈られました。
「包むの日」
大切な人のことを想い、感謝の気持ちを込めて贈り物や商品を包むことで、楽しさと豊かさを届ける日とするのが目的として株式会社包むが制定。日付は「つ(2)つ(2)む(6)」の語呂合わせから。
日本の「包む」文化は、日本で育ってきた人ならばごく身近なものですよね。
日本の包みものと言えば「風呂敷」。
風呂敷はそう呼ばれる前は「平包(ひらつつみ)」と呼ばれていました。
「風呂敷」はその名の通り、お風呂で使われるようになったことから室町時代頃より呼ばれるようになったと言われています。
当時の大名が入浴する際、他者の衣服と間違えることを防ぐために家紋が描かれた布に衣服を包みました。そしてお風呂から上がった後に風呂敷を開き、衣服を整えました。
風呂敷は「衣類を包むための布」「お風呂に敷くための布」という二つの意味があったのです。
江戸時代になって庶民も銭湯へ行くようになると、風呂敷は全国的に広まることになります。名前が広まった結果、「物を包むための布」として定着されるようになりました。