1月17日 今日は・・・
「おむすびの日」
米に関係する民間企業やJA等でつくる「ごはんを食べよう国民運動推進協議会」が2000(平成12)年11月に制定し、2001(平成13)年から実施。米の重要性を再認識してもらうことが目的。
阪神大震災ではボランティアの炊き出しで被災者が励まされたことから、いつまでもこの善意を忘れない為、1月17日を記念日としました。
おにぎりの歴史は古く、石川県のチャノバタケ遺跡から弥生時代のものと思われる、日本最古のおにぎりが出土しています。
現在のような三角形タイプになったのは随分あとのことです。
当時はチマキのようなものだと考えられ、底辺には縛ったようなくぼみもあったそうです。
さらに平安時代には餅米を握った「頓食」が作られるようになり、携帯食や招待客へのおもてなしとして活用されたとされています。
戦国時代には、武士の兵糧としても重宝されていました。
持ち運び用や軽食としても人気な「おにぎり」ですが、「おにぎり」のほか「おむすび」と呼ばれることもありますね?。
「おにぎり」と「おむすび」の違い、
呼び方の違いは諸説あるとされていますが、地域によって呼び方が変わることが多いそうです。
関東や東海道の一部ではおにぎりのことをおむすびと呼ぶ地域があるそうで、その他の地域のほとんどではおにぎりが定着しています。
また、地域以外にも形や握り方によっても呼び方が変わるとされていて、おむすびは元々は神の力を授かろうとお米を山に見立てて三角形に握られたものであるため、「おむすび=三角形」と考えられているそうです。
対して「おにぎり」は「握り飯」を丁寧に言い換えた言葉でお米を握って作られたものであれば形は関係なくおにぎりと呼ぶそうです。
「阪神・淡路大震災記念日」
1995(平成7)年1月17日午前5時46分、淡路島北端を震源とする兵庫県南部地震が発生しました。
マグニチュード7.3で震源の深さは約14キロ。神戸市・芦屋市・西宮市と淡路島の北淡町で初めて震度7の激震を記録しました。
大都市神戸を中心に阪神間の人口密集地を直撃し、鉄道・高速道路・港湾等の交通機関や電気・水道・ガスのライフラインが壊滅状態となり、自宅を失なって避難した人は最大で23万人に達しました。
死者は、震災が原因で亡くなった人を含めると6000人を超えました。
負傷者は約42000人、倒壊家屋は約40万棟。
被害総額は10兆円にものぼります。
また同日は、震災から11年目の2006(平成18)年に兵庫県が「ひょうご安全の日」と定めています。
「防災とボランティアの日」
1995(平成7)年12月の閣議で制定されました。
この年の1月17日午前5時46分、淡路島北端を震源とする兵庫県南部地震が発生しました。
いわゆる阪神・淡路大震災です。
この災害ではボランティアが活躍し、1995年は日本の「ボランティア元年」といわれました。
災害時におけるボランティア活動及び自主的な防災活動についての認識を深めるとともに、災害への備えの充実強化を図ることが目的。
「湾岸戦争開戦記念日」
1991(平成3)年、アメリカ軍を主力とする多国籍軍が、イラクとクウェートのイラク軍拠点に攻撃を開始し、湾岸戦争が勃発しました。
この日に設定されていた撤退期限が過ぎてもイラク軍がクウェートから撤退しなかったため、攻撃に踏み切りました。
「ひょうご安全の日 [兵庫県]」
阪神・淡路大震災から11年目の2006年に兵庫県が制定。
「今月今夜の月の日」
尾崎紅葉の『金色夜叉』の中で、主人公の貫一が熱海の海岸で、貫一を裏切った恋人のお宮に「可(い)いか、宮さん、一月の十七日だ。来年の今月今夜になつたらば、僕の涙で必ず月は曇らせて見せるから」と言い放ったことから。
この日の夜が曇り空になることを「貫一曇り」と言う。熱海ではこの日に「尾崎紅葉祭」が行われます。
「金色夜叉」あらすじ
高等中学校の学生の間貫一(はざま かんいち)の許婚であるお宮(鴫沢宮、しぎさわ みや)は、結婚を間近にして、富豪の富山唯継(とみやま ただつぐ)のところへ嫁ぐ。
それに激怒した貫一は、熱海で宮を問い詰めるが、宮は本心を明かさない。
貫一は宮を蹴り飛ばし、復讐のために、高利貸しになる。
一方、お宮も幸せに暮らせずにいた。
お宮を貫一が蹴り飛ばす、熱海での場面は有名である。
貫一のセリフとして「来年の今月今夜のこの月を僕の涙で曇らせてみせる」が広く知られているが、これは舞台・映画でのもっとも簡略化したセリフに基づいたものであり、原著では次のように記述されています。
「吁(ああ)、宮(みい)さんかうして二人が一処に居るのも今夜ぎりだ。お前が僕の介抱をしてくれるのも今夜ぎり、僕がお前に物を言ふのも今夜ぎりだよ。一月の十七日、宮さん、善く覚えてお置き。来年の今月今夜は、貫一は何処(どこ)でこの月を見るのだか! 再来年(さらいねん)の今月今夜……十年後(のち)の今月今夜……一生を通して僕は今月今夜を忘れん、忘れるものか、死んでも僕は忘れんよ! 可いか、宮さん、一月の十七日だ。来年の今月今夜になつたならば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから、月が……月が……月が……曇つたらば、宮さん、貫一は何処かでお前を恨んで、今夜のやうに泣いてゐると思つてくれ」
「金色夜叉」あらすじ
高等中学校の学生の間貫一(はざま かんいち)の許婚であるお宮(鴫沢宮、しぎさわ みや)は、結婚を間近にして、富豪の富山唯継(とみやま ただつぐ)のところへ嫁ぐ。
それに激怒した貫一は、熱海で宮を問い詰めるが、宮は本心を明かさない。
貫一は宮を蹴り飛ばし、復讐のために、高利貸しになる。
一方、お宮も幸せに暮らせずにいた。
お宮を貫一が蹴り飛ばす、熱海での場面は有名である。
貫一のセリフとして「来年の今月今夜のこの月を僕の涙で曇らせてみせる」が広く知られているが、これは舞台・映画でのもっとも簡略化したセリフに基づいたものであり、原著では次のように記述されています。
「吁(ああ)、宮(みい)さんかうして二人が一処に居るのも今夜ぎりだ。お前が僕の介抱をしてくれるのも今夜ぎり、僕がお前に物を言ふのも今夜ぎりだよ。一月の十七日、宮さん、善く覚えてお置き。来年の今月今夜は、貫一は何処(どこ)でこの月を見るのだか! 再来年(さらいねん)の今月今夜……十年後(のち)の今月今夜……一生を通して僕は今月今夜を忘れん、忘れるものか、死んでも僕は忘れんよ! 可いか、宮さん、一月の十七日だ。来年の今月今夜になつたならば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから、月が……月が……月が……曇つたらば、宮さん、貫一は何処かでお前を恨んで、今夜のやうに泣いてゐると思つてくれ」
尾崎紅葉が書いた明治時代の代表的な小説。
読売新聞に1897年(明治30年)1月1日 ~ 1902年(明治35年)5月11日まで連載されていました。
前編、中編、後編、続金色夜叉、続続金色夜叉、新続金色夜叉の6編からなっていますが、執筆中に作者が死亡したため未完成。
紅葉門下の小栗風葉が1909年(明治42年)に「終編金色夜叉」を書き継ぎ、昭和に入ってから映画やドラマ化されるようになりました。