SSブログ

4月3日 今日は・・・・ [管理人日記(雑記帳)]


4月3日 今日は・・・

 

「インゲン豆の日」

 1673(延宝元)年のこの日、インゲン豆を中国から持ってきたとされる隠元禅師が亡くなりました。

  隠元禅師は1592(文禄元)年に中国の福建省で生まれました。

長崎の興福寺に招かれて来日した際、インゲン豆を禅の普茶料理(精進料理)の材料として普及させました。

 

ーーーーーー他の記念日ーーーーーー

 

 「日本橋開通記念日」

 1911(明治44)年、東京の日本橋が木橋から石橋に架け替えられました。 日本橋は、江戸時代から現在まで日本の道路交通の中心となっています。 橋の中央には国道の起点となる「日本国道路元標」が設置されています。

 

 「清水寺・みずの日」

 京都市の清水寺を始めとする全国の「清水寺」で作る「全国清水寺ネットワーク」が1998(平成10)年に制定。

 「し(4)み(3)ず」(清水)の語呂合せ。

 京都市の清水寺で、水と環境に感謝する「心と地球の浄化祈願祭」が行われます。

 清く静かに澄んだ水は平和の象徴であり、畏敬の念を持たれるものとの思いから、環境の浄化・心の浄化を目指す日として全国清水寺ネットワーク会議が制定。日付は4と3で「しみず」と読む語呂合わせから。

 

「清水寺」は、京都府にある寺院。「清水寺」という寺名は、音羽山中より今もなお途切れることなくこんこんと湧いている音羽の滝に流れる霊泉に由来しています。

この霊泉は「すべての人を救う」という観音様のご利益とあわせ、古来より無病息災、立身出世、財福、良縁、子授けといった現世利益を願う善男善女を集め、「清水の観音さん」の名で全国に広く信仰を得ています。

 

 清水寺といえば、京の街並みを望む本堂が「清水の舞台」として特に有名。思い切った決断を意味する「清水の舞台から飛び降りる」なんてことわざもあります。

 そんな清水の舞台、先端部は地上から約12メートルと本当に飛び降りでもしたらたまったものではありません。しかし、実は飛び降りた人の生存率の記録が残っているのです。

 

 清水寺の塔頭(子院)である成就院の『成就院日記』という文書に残された記録によると、江戸時代に飛び降りたのは234人。全体での死亡者は34人で生存率は約85%だそう。生存率が高い理由は、当時は舞台の下に木々が多く茂り、地面も軟らかな土であったことが大きな理由なのだとか。現在の硬い土ではこうはいかないと思うと、ゾッとしますね。

 ちなみに、飛び降りた動機は決して自殺願望などではなく、観音様に命を預けて飛び降りれば、命は助かり願いが叶うという民間信仰から。一種の願掛けであったんですね。

 なお、明治5年に政府によって飛び降り禁止令が出され、舞台の周りには防止用の竹矢来が組まれました。

 

 

 

「シーサーの日」

 「シー(4)サー(3)」の語呂合せ。那覇市壺屋が全国にシーサーを広げようと2002年に制定。

シーサーは、沖縄県などで多く見られる獅子に似た伝説の獣の像で、もともとは琉球時代に交流のあった中国から伝わった魔除けの獅子であると言われています。

そのため、城門や寺社、建物の門などに飾られることが多く、現在では、その最古のシーサー像が沖縄県指定有形文化財に登録されるなど、“沖縄文化を代表するシンボル”として親しまれています。

 

「ペルー日本友好の日」

 ペルー政府が1989(平成元)年8月20日に制定。

 1899年、日本人移民790人が佐倉丸でペルーのアンコン港に上陸しました。

 

「愛林日」

 1934(昭和9)年から実施。

 1895(明治28)年に来日したノースロップ博士が講演で「愛林日(Arbor Day)」の精神を説き、 1898(明治31)年、本多静六林学博士の提唱により神武天皇祭の4月3日が「植栽日」となりました。

  1933(昭和8)年に大日本山林会会長・和田国次郎、農林次官・石黒忠篤らにより、4月2日から4日までの3日間を「愛林日」として、全国一斉に愛林行事を催すことが提唱され、翌年、 日本初の中央植樹行事が茨城県の「鬼が作国有林」で行われました。

 この中央植樹行事は現在「全国植樹祭」となっています。

 

「悪天の特異日」

 天気が悪くなる確率の高い日

 

 

「資産運用の日」

 フィデリティ投信株式会社が制定。

四(し)三(さん)で「しさん」の語呂合せ。

 

 

「葉酸の日」

 「葉酸と母子の健康を考える会」が制定。

四(よう)三(さん)で「ようさん」の語呂合せ。

 

 

「シミ対策の日」

 基礎化粧品会社・クリスタルジェミー社長の中島香里氏が制定。

四(し)三(み)で「しみ」の語呂合せ。

 

 

「趣味の日」

 {木世}(えい)出版社の関連会社・サイドリバーが制定。

四(し)三(み)で「しゅみ」の語呂合せ。

 

 

「(旧)神武天皇祭」

 1874(明治7)年から1948(昭和23)年まで大祭日となっていた。

神武天皇崩御の日とされ、宮中の皇霊殿で儀式が行われた。

神武天皇は第1代の天皇で、名前は神日本磐余彦尊(かんやまといはれひこのみこと)。日本書紀によれば、日向国(現在の宮崎県)から東征し、熊野・吉野を通って大和(現在の奈良県)を平定し、紀元前660年1月1日(新暦2月11日)に大和の橿原宮で即位した。

 



nice!(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感