SSブログ

3月26日 今日は・・・ [管理人日記(雑記帳)]



3月26日 今日は・・・
早いですねぇ 3月最終月曜日です。
「プリーンの日」
purud1.jpg
 毎月26日はプルーンの日。
 サンスウィート・インターナショナル日本支社が制定しました。「プ(2)ルーン(6)」の語呂合わせ。
 毎月26日にしたのは、1年中おいしいプルーンを食べてもらいたい、という願いをこめてのもの。
 同社は世界ナンバーワンの生産・販売量を誇るプルーンメーカー、サンスウィートの日本支社。 プルーンの魅力の伝えて販売促進につなげるのが目的。
 カリフォルニアでは8月の第1週目から第2週のかけてプルーンの収穫が行われます。そのため、特に9月26日のプルーンの日には「収穫祭」の意味も込めた思いが強くあります。
 日本でもプルーンの生産は行われていて、そのうち約3分の2が長野県で生産されています。
prune1.png

「カチューシャの歌の日」
 1914(大正3)年のこの日、島村抱月と松井須磨子が起こした芸術座で、トルストイ原作「復活」の初演がありました。
 このとき松井が歌った劇中歌が「カチューシャの歌」です。
 当時、この歌は大流行し、一世を風靡しました。
 カチューシャとは、ロシアでは一般的な女性の名前です。
「独立記念日 [バングラデシュ]」
 1971年のこの日、東パキスタンがバングラデシュとして独立した。
 1947年8月14日に、(旧)インドがヒンズー教徒のインド、仏教徒のセイロン(現在のスリランカ)、イスラム教徒の(旧)パキスタンの3つに分かれたが、パキスタンは国土がインドによって東西に分断された飛び地となっていました。
「楽聖忌」
hqdefault.jpg
 1827年、ドイツの作曲家ベートーベンがウィーンの自宅で亡くなりました。
 ベートーベンは多くの交響曲を作曲、第5交響曲『運命』や『エリーゼのために』など音楽史に残る偉大な功績を残し「楽聖」と呼ばれました。
 3日前、甥のカールを唯一の相続人にするように遺言書を補足し、「諸君、拍手したまえ。喜劇は終ったのだ」という有名な言葉を呟きました。
 29日の葬儀には2万人の市民が参列し、宮廷歌手が棺を担いでフンメルら弟子たちがそれに続きました。
 ベートーヴェンは幼い頃から父親の厳しい英才教育を受け、7歳の頃には演奏会を開き、10代では亡くした母と酒浸りで失職した父に代わって家計を支えていたといいます。
 しかし、20代の後半からは難聴に苦しみ、自殺も考えて遺書を残すなど苦難を抱えていました。彼の耳は歳を重ねるごとに悪化していき、40歳の頃には全く聞こえなくなってしまったとも言われています。
 ベードーヴェンの難聴の原因は諸説ありますが、ベートーヴェンの毛髪から通常では考えられない量の鉛が検出されたことから、鉛中毒による聴覚障害だったのではないかと考えられています。
 ベードーヴェンの時代には、砂糖は高級品であったため化学的に合成した甘味料で食品に甘みをつけていました。
 葡萄の果汁を鉛製の鍋で煮ると甘みの強いシロップになるのですが、このシロップには葡萄果汁の成分と鉛の化合物である酢酸鉛が含まれていたのです。
 ベートーベンは、このシロップが使われている食品を好んで食べていたことが明らかになっています。
 ベートーヴェンの楽曲で最も有名な曲のひとつ「エリーゼのために」。約3分の短いピアノ小品ですが、誰もが耳にしたことがありますよね。
 この「エリーゼ」というのは、いったい誰なのでしょうか。
 誰なのかは現在もなお謎のままなのですが、一説としてベートーヴェンの主治医の姪だったテレーゼ・マルファッティという女性ではないかという説もあります。
 当時40歳だったベートーヴェンは18歳のテレーゼに求婚したという話しもあるとか。
 ベートーヴェンがテレーゼを好きだったのなら、「テレーゼのために」になるのでは?と思っいますよね?
 実はベートーヴェンは字が汚かったのだそうで… 説としては「テレーゼ(Therese)」を「エリーゼ(Elise)」と読み間違えられたという説が大だそうです。
 また、「エリーゼのために」の楽譜をテレーゼが所有していたことからも「Therese」が自然と考えられています。
 なので、「エリーゼのために」の正式タイトルは、エリーゼは間違いだったのかもしれませんね? (^^;)



nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。