茨城県廃路線・鹿島鉄道線(1924~2007) [駅奪取]
所有者:鹿島参宮鉄道→関東鉄道→鹿島鉄道
開業 1924年6月8日
廃止 2007年4月1日
鹿島鉄道線(かしまてつどうせん)(鹿島鉄道)
は、かつて茨城県石岡市の石岡駅と茨城県鉾田市の鉾田駅
までを結んでいた鹿島鉄道の鉄道路線である
2007年(平成19年)4月1日に廃止となった
は、かつて茨城県石岡市の石岡駅と茨城県鉾田市の鉾田駅
までを結んでいた鹿島鉄道の鉄道路線である
2007年(平成19年)4月1日に廃止となった
現況 廃止
起終点 起点:石岡駅
接続路線・備考
東日本旅客鉄道:常磐線
所在地:石岡市
所在地:石岡市
終点:鉾田駅
駅数:17駅
運営
開業:1924年6月8日
廃止:2007年4月1日
所有者:鹿島参宮鉄道→関東鉄道→鹿島鉄道
石岡駅・石岡市
石岡南台駅・石岡市
東田中駅・石岡市
玉里駅・小美玉市
新高浜駅・小美玉市
四箇村駅・小美玉市
常陸小川駅・小美玉市
小川高校下駅・小美玉市
下馬場駅 1931~1943
下馬場駅 1931~1943
桃浦駅・行方市
八木蒔駅・行方市
浜駅・行方市
玉造町駅・行方市
武田駅 ~1957
榎本駅・行方市
借宿前駅・鉾田市
巴川駅・鉾田市
坂戸駅・鉾田市
鉾田駅・鉾田市
武田駅 ~1957
榎本駅・行方市
借宿前駅・鉾田市
巴川駅・鉾田市
坂戸駅・鉾田市
鉾田駅・鉾田市
路線廃止前の廃止:下馬場駅
下馬場駅廃止当時の所在地は東茨城郡小川町
常陸小川駅 - 桃浦駅間に所在
1931年開業、1943年休止
路線廃止前の廃止駅:武田駅
武田駅廃止当時の所在地は行方郡玉造町
=鉾田線(鹿島参宮鉄道)
1937年以降開業、1957年4月26日廃止
下馬場駅廃止当時の所在地は東茨城郡小川町
常陸小川駅 - 桃浦駅間に所在
1931年開業、1943年休止
路線廃止前の廃止駅:武田駅
武田駅廃止当時の所在地は行方郡玉造町
=鉾田線(鹿島参宮鉄道)
1937年以降開業、1957年4月26日廃止
1924/06/08(大正13年):鹿島参宮鉄道 石岡~常陸小川間開業
(1067mm軌間・蒸気動力)
(1067mm軌間・蒸気動力)
1926/08/15(大正15年):常陸小川~浜間開業
1928/02/01(昭和3年):浜~玉造町間開業
1929/05/16(昭和4年):玉造町~鉾田間開業=全通
1930/09/06(昭和5年):瓦斯倫動力併用認可
1931/02/01(昭和6年):四ヶ村駅(後の四箇村駅)
・下馬場駅・八木蒔駅・坂戸駅開業
・下馬場駅・八木蒔駅・坂戸駅開業
1943/12/23(昭和18年):四ヶ村駅・下馬場駅・八木蒔駅・坂戸駅休止
1951/10/01(昭和26年):借宿前駅開業、四箇村駅・八木蒔駅営業再開
1956/11/19(昭和31年):坂戸駅営業再開
1957/04/26(昭和32年):武田駅廃止
1964/11/18(昭和39年):東田中駅開業
1965/0601(昭和40年):常総筑波鉄道と合併し関東鉄道となり
同社の鉾田線
同社の鉾田線
1971/10/01(昭和46年):玉里信号所開業
1979/04/01(昭和54年):鉾田線が鹿島鉄道に分離
同社の鉾田線となる
同社の鉾田線となる
1987/02/16(昭和62年):一部列車をワンマン化
(ただし、02/25までは訓練期間として車掌が添乗)
(ただし、02/25までは訓練期間として車掌が添乗)
1988/04/01(昭和63年):玉里駅・小川高校下駅開業
1989年(平成元年):路線名を鉾田線から鹿島鉄道線に改称
06/16:石岡南台駅開業
2002/04/01(平成14年):貨物営業廃止
2006/03/30(平成18年):廃止届を国土交通省に提出
2007/04/01(平成19年):廃止
(バス転換:関鉄グリーンバス)
(バス転換:関鉄グリーンバス)
~備考~
全駅茨城県に所在
所在地などの名称は路線廃止時のもの
所在地などの名称は路線廃止時のもの
元々は鹿島神宮への参宮鉄道として計画されたものであった
(当初の計画において起点は石岡駅ではなく同じく常磐線の高浜駅であった)
浜駅で鉾田方面と現在の鹿島線延方駅方面に分岐する計画だったが、
浜駅から延方方面への建設を早期に断念したため、鹿島神宮への延伸は叶わなかった
(代わりに会社は舟運を兼営し、海陸接続となる浜駅に
入り江を設けて専用埠頭を建設している)
なお浜駅から鉾田駅方面へ直角に曲げて延伸しているのは、
当時は付近一帯がたばこの産地であり、貨物需要を見込んだためといわれる
(当初の計画において起点は石岡駅ではなく同じく常磐線の高浜駅であった)
浜駅で鉾田方面と現在の鹿島線延方駅方面に分岐する計画だったが、
浜駅から延方方面への建設を早期に断念したため、鹿島神宮への延伸は叶わなかった
(代わりに会社は舟運を兼営し、海陸接続となる浜駅に
入り江を設けて専用埠頭を建設している)
なお浜駅から鉾田駅方面へ直角に曲げて延伸しているのは、
当時は付近一帯がたばこの産地であり、貨物需要を見込んだためといわれる
戦後、鹿島神宮へは
国鉄鹿島線(鹿島臨海鉄道大洗鹿島線からの乗り入れを含む)が建設された
関東鉄道からの分離の際、当初の社名が採用された筑波鉄道に対し
鹿島参宮鉄道が前身である鉾田線は「参宮」を外した鹿島鉄道とされた
国鉄鹿島線(鹿島臨海鉄道大洗鹿島線からの乗り入れを含む)が建設された
関東鉄道からの分離の際、当初の社名が採用された筑波鉄道に対し
鹿島参宮鉄道が前身である鉾田線は「参宮」を外した鹿島鉄道とされた
最後に行われた2006/03/18(平成18年)改正ダイヤにおいては、
全列車が各駅停車で、日中時間帯はおおむね1時間に1本運行されていた
他に区間運行列車として、石岡~常陸小川間の列車が
おおむね1時間に1本程度運行されるほか、早朝と夜には
石岡~玉里間の列車も運行されていた
石岡~常陸小川間は日中1時間あたり1~3本運転され
石岡駅で接続するJR常磐線普通列車より本数が多い時間帯があった
全列車が各駅停車で、日中時間帯はおおむね1時間に1本運行されていた
他に区間運行列車として、石岡~常陸小川間の列車が
おおむね1時間に1本程度運行されるほか、早朝と夜には
石岡~玉里間の列車も運行されていた
石岡~常陸小川間は日中1時間あたり1~3本運転され
石岡駅で接続するJR常磐線普通列車より本数が多い時間帯があった
ほとんどの列車が1両での運行であったが
朝方の一部列車やイベントの際には、2~3両での運行も見られた
朝方の一部列車やイベントの際には、2~3両での運行も見られた
鹿島鉄道線は茨城県内陸部と海沿い(鹿島灘)の地域を横断する路線で、
霞ヶ浦北岸を通る。 地図上ではJR常磐線と鹿島臨海鉄道大洗鹿島線
を結ぶように見えるが、終点の鉾田駅は大洗鹿島線の新鉾田駅とは
道程で1km以上離れており、大洗鹿島線とは接続していない。
旅行者などが徒歩で乗り換えるケースはあったが、
一時期路線バスが運行していた以外は特に接続の改善は見られなかった。
霞ヶ浦北岸を通る。 地図上ではJR常磐線と鹿島臨海鉄道大洗鹿島線
を結ぶように見えるが、終点の鉾田駅は大洗鹿島線の新鉾田駅とは
道程で1km以上離れており、大洗鹿島線とは接続していない。
旅行者などが徒歩で乗り換えるケースはあったが、
一時期路線バスが運行していた以外は特に接続の改善は見られなかった。
鹿島鉄道は旅客収入だけでは鉄道を維持できないほど
利用者が減少していたが、航空自衛隊百里基地への
利用者が減少していたが、航空自衛隊百里基地への
航空ジェット燃料輸送による貨物列車の運行収入によって
路線経営が何とか成り立っていた。
しかし、2001年(平成13年)8月に榎本駅と百里基地を結ぶ
パイプラインの老朽化と安全保障上の対策から燃料輸送を
中止したことから、深刻な経営状況の悪化が決定的となった。
路線経営が何とか成り立っていた。
しかし、2001年(平成13年)8月に榎本駅と百里基地を結ぶ
パイプラインの老朽化と安全保障上の対策から燃料輸送を
中止したことから、深刻な経営状況の悪化が決定的となった。
コロニーな生活に繋がっています
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