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1月25日 今日は何の日 [管理人日記(雑記帳)]



1月25日 今日は・・・


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「中華まんの日」
 1902(明治35)年のこの日、北海道旭川で日本の観測史上最低の気温-41℃が記録されました。
 そこで、寒い日には中華まんを食べて暖まってもらおうということで、この日が記念日に制定されました。
 今ではコンビニでも手軽に食べることが出来る中華まんですが、鎌倉時代から南北朝時代の間に中国から伝えられたと言われています。
 初めて日本で販売したのは、おなじみの「中村屋」でした。
 1925年に創業者の相馬愛蔵・黒光夫妻が中国を訪れた際、初めて肉まんの元となる「包子(パオズ)」と出会ったことがきっかけだそう。
 この時の包子は中国人向けの味つけで油っぽく、日本人の口には合わなかったことから、改良を重ねて日本人好みのあっさり味にアレンジし、1927年に肉まんを発売。
 当時の商品名は天下一品「支那饅頭」でした。以降、ごく一部の中華料理店でしか食べることができなかった中華まんが一般の人にも親しまれるようになったのだそうです。
 中華まんの代表というとやっぱり「肉まん」ですが、「豚まん」の違いはご存知でしょうか?
 関東と関西での呼び方の違いで、大きく関東では「肉まん」、関西では「豚まん」と呼ばれます。これは、関西では「肉」というと牛肉を指すため、豚肉の入っている肉まんは「豚まん」と呼ばれていることが関係していると言われています。
 また、中華関連では、毎月15日は中華の日となっています。
 中華まんの起源は、中国の三国時代(220年頃)、名将・諸葛孔明が作らせたことで知られています。
 南方の蛮族を征伐するため川を渡ろうとした孔明ですが、川がはんらんして渡れません。
 当時は川を静めるために、人頭を水神にささげ事になっていましたが、部下を犠牲に出来なかった孔明は、小麦粉を水でねって皮を作り、羊と豚の肉を包んで人頭に似せたまんじゅうを作りました。
 これをはんらんする川に投げたところ見事に風雨が静まり、戦いに勝つ事が出来たそうです。
 このまんじゅうが、今の中華まんの始まりとされています。
「日本最低気温の日」
1902年のこの日、北海道旭川市で、日本の最低気温の公式記録・-41.0℃を記録しました。
 1978(昭和53)年2月17日に幌加内町母子里の北大演習林でこれより0.2℃低い-41.2℃を記録したが、気象庁の公式記録の対象から外れていたため、旭川の記録が公式の日本最低気温となっています。
「主婦休みの日」
 生活情報紙『リビング新聞』が2009年に制定。
 日頃家事を主に担当している主婦がリフレッシュをする日。
 読者のアンケートにより1月25日・5月25日・9月25日を「主婦休みの日」とした、その年最初の日。
「ホットケーキの日」
 日本最低気温の日に因み、寒い日にはホットケーキを食べて暖まってもらおうと制定。
「美容記念日」
 健康で美しい元気な人を増やしていくきっかけの日とすることを目的に、株式会社ハリウッドビューティサロンが制定。
日付は日本で初めてパーマやマスカラメイクを始めたメイ牛山さんの1911年の生誕日から。
 メイ牛山さんは美容室の経営、後進の育成、化粧品の開発、新しい美容技術の普及を通して、美容が平和な社会の象徴であることを唱えました。トレードマークのお団子ヘアでお茶の間でも人気となった『笑っていいとも』などに出演。また、ハリウッドビューティ専門学校の初代校長も務めていました。
「左遷の日」
 901(延喜元)年、右大臣・菅原道真が醍醐天皇によって九州の大宰府に左遷されました。
 彼の才能を妬む左大臣・藤原時平は、道真を罪に陥れてやろうと策略し「道真は国家の政治を私物化している」と醍醐天皇に何度も讒言しました。これにより、天皇も道真のことを逆臣と思いこむようになり、901年1月20日に菅原道真を太宰権帥に左遷、筑紫国に流罪とすることとしました。
 長年住み慣れた自宅の庭に植えられていた梅が咲いているのを見て東風吹かば匂ひ送来せよ梅の花 主無しとて春な忘れそと詠み、この日、都を旅立ちました。その梅は菅原邸から太宰府の庭まで飛んで行ってそこに根づいたという「太宰府の飛梅」の伝説があります。
 菅原道真は無念の思いを抱きながら、2年後の903(延喜3)年2月25日に亡くなりました。
「お詫びの日」
 1077年、神聖ローマ皇帝がローマ教皇に「お詫び」をしました。
 神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世はイタリアの支配をめざし、ミラノ大司教等を次々と任命しました。
 教皇グレゴリウス7世がこれらの教皇を無視した皇帝の行為を激しく非難しましたのに対しハイリンヒは激怒し、直ちに諸侯を集めて教皇の廃位を決定しました。
 これに対して教皇も、1076年2月に皇帝の廃位と破門を宣言しました。
 破門の知らせを受けた諸侯たちは、次々とハイリンヒに叛旗を翻しました。
 そこでハイリンヒは、教皇から破門を解いてもらう為に、グレゴリウス7世が滞在している北イタリア・カノッサ城を訪れました。
 しかし、グレゴリウスはなかなか会おうとせず、カノッサ城外で悔恨の心を示すことを要求しました。
 ハイリンヒは1月25日から3日間、雪の中、裸足に粗末な修道衣だけの姿で城の前に立ち続け、ようやく教皇の赦免を受けることができました。
 これを「カノッサの屈辱」といいます。
 しかし、赦免を受けた皇帝は巻き返しを謀り、教皇との対立は再び激化して行きました。
 この争いは以降約半世紀も続きました。
「初天神」
 毎月25日は天神の縁日で、一年で最初の縁日は「初天神」と呼ばれます。
「バーンズ生誕日」
 スコットランドの詩人ロバート・バーンズの1759年の誕生日。
 スコットランド地方ではこの日、生誕を祝って作品を朗読し肉料理を食べます。
「法然忌」
浄土宗の開祖・法然(ほうねん)の1212(建暦2)年の忌日。




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